遂に愛車を廃車にすることになりにけり18歳で原動機付自転車運転免許証を取得してから約60年の間は大変車のお世話になったビスモーターが始まりで空冷のパブリカから何台もの車を乗り換え現在の車は16年もの間乗り回した16年で163855kmを走行した、一台で地球4周の距離であるその間、ガードレールの設置や信号機の一部分にある程度の補助金を拠出している普通車は10年10万距離が人間でいう健康年齢と云われているみたいだがそんな事は決してない、日本車は素晴らしい!(外車に乗ったことないけどね)小生運転免許マニアで持っていない免許は「けん引二種」だけだがこの歳では新しく免許取得どころか二種免許は返納せんならん年齢層である特にバックが苦手になったし駐車スペースに真っ直ぐにとめられなくなった、何回か切り返ししても常に斜めになるのこれからは軽トラックのみ 多様性を求めて
題 詞 寄物陳思原 文 云(々)物者不斐太人乃墨縄之直一道二作 者 不詳訓 読 かにかくに物は思わじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道に あれやこれやと思ったりしません 飛騨人のようにただ一筋にあなたを思っております
今年の大寒は3月の陽気とか?確かに暖かい、年末年始は積雪は多くて大変寒くて大寒みたいだったけど、毎年毎年降る雪は少なくなった来た 昔なんかは冬になると毎日が雪降りで屋根の雪下ろしが日課であったし、子供が学校へ行く道路の「道踏み」がオヤジの毎朝の仕事だった、降り積もった雪で何処が道やら分からんようなとこを見当つけて「輪カンジキ」を履いたその日の当番のオヤジが新道をこざいて道を付けてその後から学校子供が列になってついてゾロゾロとついて行く、列の最後尾には上級生が人数を確認しながらついて行く 手ぬぐいで頭と顔をミソ玉みたいに包みマントを着て、かあさんが夜なべして編んでくれた毛糸の手袋をして鼻水を垂らしながらやっとこさで学校へ到着 長靴の中は雪だらけ鼻水を拭いた袖口は凍った鼻水でカッパカパ 昭和20年代のお話し